人と人とのあいだを
埋めるもの。
「我が家のネットワーク担当」。僕がこんなふうに家族から呼ばれるようになったのは、小学生の頃からでしょうか。父に教わってネット機器の操作を覚えるうちに、母や兄弟が頼りにしてくれるようになり、それが嬉しくてどんどんIT機器に詳しくなりました。もともと父がシステムエンジニアということもあり、小さな頃からパソコンは身近なもの。WordやPowerPointなどの基本的な操作はもちろん、中学にあがると、テレビゲームに夢中な友人たちをパソコンゲームの世界に誘いたくて、独学でサーバー構築まで覚えました。ゲームのプログラムを自分でいじったりすると友人が驚いてくれて、仲間が集まってくるんですよ。ああ、たのしいなぁって。昔から人と話すのが苦手だと感じていた僕にとって、技術や知識は“人と人とのあいだを埋めてくれるもの”だったのかもしれません。そんなこんなでシステムエンジニアの道に進み、今こうしてウエルストーンで働いています。就活のときに重視したのは「どんなシステムをつくるか」よりも「誰のためにつくるか」。自分の性格を考えると、仲間やお客さま、システムの先にいる誰かの存在が、モチベーションになるだろうと思ったんです。入社してからは、働く仲間の期待に応えたい一心で、必死に勉強する毎日。知らないことだらけで苦労も絶えなかったですが、できないことができるようになる、あの時の達成感が忘れられなくて…。自分の努力で、誰かが喜んでくれたらなおさらです。しかし後に、僕はこの自分の「達成感」の裏に隠れて見えなくなっていた、ある大事なことに気付くことになりました。
任せるって、
悪いこと?
あれは、入社して3年が経った日のこと。クライアント先の社内管理システムの導入支援を主に担当する部門で、開発チームのリーダーを任されました。それまでは自分で開発する時間が長かったのですが、少しずつ顧客折衝や進行管理、メンバーのフォローが業務の中心に。そんな不慣れな中で、事件は起こりました。なんと納品日3日前に、制作未着手のページがあることが発覚。全体のタスクから漏れていた上、進行管理を自分だけで進めていたので、誰も気が付くことができませんでした。(今からでは到底間に合わないだろう、もう謝罪するしかない。)そうひとりで考えて、関係各所に電話しようとしたら…「全員で手分けしたら、まだ間に合うんじゃないですか?」事情を聞きつけた後輩たちが、声をかけてくれました。正直、申し訳なくて、情けなくて、逃げ出したい気持ちでいっぱい。でも、責めることもせず、チームで乗り越えようと動いてくれている皆を見て、思いました。あ、頼ってもいいんだって。チームで働くとはそういうことだろうって、いまの自分だったら考えると思います。でも、あの頃の僕は、自分の手や頭を動かして得られる安心や達成感しか知らなくて。自分でやるほうがいい、そんな風にチームのみんなに対して壁を隔ててしまっていたのかもしれません。
チームでできることを
最大化するために。
最終的には、無事に納品日に間に合わせることができ、お客さまから品質・スピードともに、喜びの声をいただくことができました。リーダーである自分がメンバーにチームで働くとはどういうことか、教えてもらうなんて。ガツンとやられましたね。自分が頑張ればいい、誰かに任せるなんて無責任。そういった考えは、一見頑張っているように見えて、実は「お客さまに最大限喜んでいただくためになにができるか?」ということが、見えていない。それに、一緒に働くみんなの技術力や経験値を高めることが、チームとして生み出せる価値の大きさに直結する。なのに、僕がその機会を奪ってしまっていたんです。プロジェクト管理の方法だって、もっとみんなで共有して意見を出し合えば、スピードという品質をさらに追求できる。そうやって、チームで経験や知識を出し合って、みんなでお客さまを喜ばせること。これが、リーダーとしての役割なんだとやっと気づくことができました。だからこそ、僕はもっと、部門も、プロジェクトも、年齢の垣根も超えて、仲間と働くことで生み出せる成果を信じてみたい。ウエルストーンというチームを大きくしたい。仲間が増えるってことは、その分だけ、技術や知識、経験値が増えるということで。きっと今よりも大型の案件に挑戦もできるだろうし、僕らの技術やサービスで喜んでくれる人の数も増える。もっといえば、協力会社やクライアントまでも仲間にしてしまえば、自分たちでは想像もつかない大きな価値を、世の中に生み出せるかもしれない。…その先にある達成感って、一体どんなものなのでしょうね。それをみんなと分かち合うのが、いまの僕の目標です。